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狐と鍛冶屋  i n s i d e h i s b r a i n


 鍛冶は明かりを灯し身体を起こした。蔵馬の寝転がる枕元に胡坐をかき、手を伸ばした脇机の上から煙草を取る。
 蔵馬は身体を横たえたまま、鍛冶が明かりのガラス筒を傾けて中の火を煙草に移す様子をみ上げる。煙草は嫌いだが、鍛冶の煙草を燻らせるのをみるのはおもしろいらしい。
 鍛冶は尋ねる。
「おもしろいか……?」
「ん……。」
 妖狐は軽く頷き、煙草の先端から緩やかな曲線を描いて天井へ向かう煙を眺めている。そんな蔵馬を一瞥し、鍛冶は煙を吐く。灰を小皿に取りながら、
「……おまえのところの甲っていうにいちゃんがなあ。」
「ん?」
「おまえが来ているときは煙草を吸うなーって。」
「……。」
「いうんだよな。『蔵馬が煙草臭くなるだろう。』って……。」
「ふうん……、そう。」
 生返事しか返らない会話。鍛冶は蔵馬の表情を不思議な心持で観察する。
 蔵馬の身辺に何があったのかは、鍛冶に知る術はない。蔵馬は滅多に自分について語らなかった。それは「盗賊」という稼業が影響を及ぼしているともいえようが、つまりはそれが蔵馬の性質であるらしい。
 だから鍛冶は今日も、蔵馬がこの場所に現れて断りもなく鍛冶の寝台に上ってごろりと横になったまま口をきかなかったことについても、その裏にある理由など分かるはずがなかった。だが……。
「で?……何が寂しいんだ?」
「……。」
 口数が少ないのは、機嫌が悪いとき。もしくは、心寒いときか。不本意ながら何度か寝起きを共にしている鍛冶は、蔵馬のそういった妙に「分かり易い」部分での性格を心得ている。
「……寂しくなんかないよ。」
「そうか。」
 鍛冶は故意につれない相槌を打つ。鍛冶が自分のことばを信じていないと思ったのか、
「寂しくなんか、ない……。」
 蔵馬は再び同じことばを繰り返す。だが、今度の声には意地のような色がみて取れた。蔵馬もそれには気づいている、悔やむように、口を隠すくらいに掛け布を引き上げ、もう何も答えないつもりらしい。
「ボクチャン。」
「……。」
 蔵馬の動く衣擦れの音が途絶えると、鍛冶はゆっくりと、ため息と共に煙を天に向かって吐いた。
 蔵馬は呟く。
「……おまえは、寂しいことはないのか?」
「ん……?」
 小皿に灰を落とし、
「あるぞ。……たくさんある。」
「……。」
「一番側にいて欲しい奴に側にいてもらえない。側にいてやれないっていうのもあるかな。連れてくるのが一番よかったのかもしれないが、そうはできない事情もあるしな……。」
「事情……。」
「ん……。ここは、長く暮らすには治安が悪い。」
「……。」
 そのことばに、蔵馬が目を伏せるのが分かった。鍛冶は穏やかに笑い、「おまえのせいだけじゃねえよ。」と後づけする。
「ガキを安心して育てるにも、ここじゃ何かと不便だ。いらない心配までしなけりゃならん。」
 煙草が消される。
「だがな……、そういう場所が、俺の商売の稼ぎどころだから。」
「……。」
「治安が悪くなくちゃ売れないモンもあるっていうはなしさ。金はあればある程いい、……ガキもまだ小せえのが残っているしな。」
 蔵馬は返すべきことばがみつからないのか、ただ頷くだけだ。寂しさが、鍛冶を多弁にした。またいらぬことまでいってしまったな、鍛冶は自身に苦笑する。
「……さっきは悪かったな。」
「ん……。もう、いい。」
 今は目しかみえない蔵馬に、鍛冶はそっと手を伸ばした。何気なく、だがその額に指先が触れると、蔵馬はぴくっと肩を竦める……。
「殴ったりしねえよ。」
 鍛冶は優しく呟き、広げた右手で蔵馬の頭を撫でた。蔵馬はおとなしくその行為を受け入れている。身体に触れられるのは厭だが、蔵馬には鍛冶の寂しさが手のひらから流れ込んでくるような気がしていた。故郷に大切なものを残してきた罪悪感からか、鍛冶が自らの寂しい気持ちを外に漏らすことはなかった。だが、ここに初めて来たときから、蔵馬には鍛冶の複雑な思いが察せられている。
 だから、蔵馬は鍛冶の手を払い除けることができない。
 新しい半紙が墨を吸い取るように、他人の心理を身体の内に取り込んでしまうような性質が、蔵馬にはあった。無論、『誰か』のことになると全然なのはその通りだから、心労が絶えないのはいうまでもない……。
 しばしの間を置き、不図、蔵馬はいった。
「……おまえの手、大きいな。」
「……ん?」
 そして、頭の上の手を取る。顔の前で鍛冶の手を両手に持ち、確かめるように親指を這わせる。
「それに表面がガサガサで、皮膚が硬い……。」
「……そうか?」
「……。」
「火を使う仕事を毎日しているとな、こういうゴツゴツした手になっちまうんだよ……。」
「ふうん……。」
 手のひらに、蔵馬の息がかかる。蔵馬は鍛冶の手にくちびるを寄せるようにして、いった。
「オレ、こういう手、スキだよ。」
「……。」
「真面目に生きている手だから……。」
 ……愛妻は、口癖のようにこういった。鍛冶の手に触れ、『あなたの手、スキよ。無骨でガサガサしてるけど、毎日真面目に働いていないとこういう手にはならないもの。この指一本一本が私に優しさを与えてくれる……。』────
 鍛冶は思わず蔵馬の両手を包み込むように握った。蔵馬は咄嗟に手を引き戻そうとしたが、捕らえられた手を握る手の暖かさが躊躇いを与えた。その間に、鍛冶は握りしめた蔵馬の手を口元にまで引き寄せ、その甲にそっとくちびるを当てた。
「……何?」
「おまえの手は、いつまで経っても綺麗なままだな……。」
「……。」
「とても悪いことをしている手にはみえん。」
 蔵馬は呟く。
「……悪い、ことか……。」
 鍛冶はいう。
「この手で盗んだりとかするんだよな……。」
「ん……。」
「……この手で……。」
 『殺したりとか、するんだよな。』
 ……そういおうとしている自分に気づいたとき、鍛冶に先を続ける勇気はなかった。それは、それを口にすれば蔵馬に殺される、などという陳腐な思いつきからではなかった。夢の郷愁を引きずっていた鍛冶は普段に比べことばが多く、何より優しかった。だが、ことばの内に蔵馬の存在を責めるようなものが含まれることがあることに気づく……。
 蔵馬は知っていた。
 鍛冶屋は盗賊が嫌いだった。商売柄、表面上はうまくつき合っているように繕うが、自身の勝手な論理を展開し、それが正しいものという解釈の基、ヒトを殺すのが当たり前のような世界で生き、金品を盗むことを生業にしているような連中が、どうしても好かなかった。だが。
 鍛冶は思う。
 ……蔵馬は不思議な男だ。ここにいる間はまるでただの子供のような気配で、子猫のような寝息で眠るだけのくせに。鍛冶のところに来る蔵馬の組の連中はいい合わせたようにこの男の働き振りを称賛した。『盗賊になるために生まれてきたような男だ。』。組違いの他の賊でさえ『あの男のところは手出しができない。』というくらいだから、蔵馬の実力は恐らく本物なのだろう。今までの鍛冶にすれば、一番反りが合わない性質なはずだ。それでも、蔵馬の空気に触れると心地よいと思ってしまう自分がいる。蔵馬には、ヒトを魅了せずにはいられない何かがあるらしい。鍛冶は魔法にかかったように、蔵馬の手の甲にくちづけることを止めない……。
「怒鳴ったりしてごめん……。」
「え……?」
「いや……、何でもない。」
 蔵馬は困った顔をして鍛冶をみ上げている。初めに手を引くきっかけを失ったため、どういってこの場を退くべきかを考えているのだろう。
「鍛冶屋?」
「ん?」
「……邪魔して悪かったな。もう、寝床に戻るから……。」
 怖ず怖ずとそういい、蔵馬は鍛冶の手の中から両手を引き抜いた。優しく掴まれていただけだ、すんなりとすり抜けることができた。伏していた身体を持ち上げて、掛け布から抜け出ようとするが、
「蔵馬。」
 鍛冶は床(とこ)につき身体を支えている手に自らの手を重ねた。
「いいんだぜ、ここで寝ても。」
「……。」
 蔵馬は鍛冶の目をみつめる。ふざけた感情がまるで感じられない。……冗談でいっているのではないらしい。
 鍛冶の気持ちは複雑だった。自分の気を紛らすためのこと、その行為に蔵馬が傷つくことも何となく分かる。これは決して本気ではない、だから余計に。この男のみせる無垢過ぎる気配が、そう思わせる……。
「……ごめん。」
「……鍛冶屋……。」
 真面目過ぎる男は、蔵馬の手を解放した。
 だが……。

 蔵馬は再び身体を横たえた。そしてそっと、鍛冶の側に寄ろうとする。蔵馬はいう。
「今だけだから……。」
「蔵馬……?」
「本当に、今だけだから……。」
「……。」
 鍛冶の心情が痛い程伝わっている蔵馬には、弱さをみせた鍛冶を無碍に突き放すことができなかった。蔵馬はきつく目を瞑る。我侭な男がそれなりに気を遣った結果なのだ。それを感じ取った鍛冶は、蔵馬に申し訳ない気持ちがした。だが一方では、蔵馬をかわいい男だと、もしかしたら初めてそう思っていた。
 鍛冶は手を伸ばす。そして、蔵馬の頭を優しく撫でる。
「無理するなよ。」
 蔵馬が首を横に振る……。


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